うつになってからアニメを見るのがしんどい
妻子を養うために働く毎日である。
うつ症状は安定している。
抗うつ剤と睡眠剤による治療は続いており、「寛解」というにはまだ遠いようだが、経過としては悪くないのだという。
仕事と育児の負荷がありながらも、薬のおかげでセロトニンのバランスがとれている。ならば回復傾向だ、ということらしい。
ところで、子供のためだと称して、10数年ぶりにテレビを買った。
長いことテレビから離れていたので、新鮮な体験が多い。
地上波以外にも、Amazon Fire TVにより、いくつかのサブスクで映画やドラマなどを見ることができる。利便性も画質もすばらしくて、隔世の感がある。
それは映画好きを自負している私にとって夢のような環境なのだが、映像作品の中でも、とりわけアニメを見づらくなっていることに気づいた。
より正確には、フレームレートの低いリミテッドアニメがきつい…のだと思う。
うつになってから、強い光に対してストレスを感じることが増えたのだが、とくにリミテッドアニメはそこにダイレクトに刺さってしまうようなのだ。
具体的に言うと、中割りの中の一枚が止まったように見えて気になったり、動きがカクカクとして、ぎこちなく見えてしまうのだ。
さらに追い打ちをかけるように、昨今の国産アニメは鮮やかな色彩や派手なエフェクトをともなうため刺激が強く、光の針が脳みそに刺さるのを感じてしまう。
今リメイクされている『ダイの大冒険』のような、比較的お金のかかっているだろう作品でもかなりギリギリであるし、『ゲッターロボアーク』は粗が多い分、輪をかけてきつい。
娘が将来的に見るかもしれないと思って、女児向けアニメの『プリキュア』や『ミュークルドリーミー』も見てみたが、ビビッドカラーの洪水に脳をあぶられるようだ。
もっとも、まだ0歳の娘が、実際にはどういう作品を好きになるかはまるっきり未知数なのだが…いずれにしろ、親がそれを一緒に楽しんでみられるかは、作品と症状の相性にも左右されそうだ。
ピクサーやドリームワークス等のCGIアニメは、動きがなめらかだからか知らないが、基本的に大丈夫だった。
『スパイダーバース』は作品としては好きだが、結構つらいものがあった。
この作品は3DCGのアニメーションではあるのだが、わざと動画の中抜きをして、手書きアニメに近いフィーリングを残している。また、作品自体にコミック/カートゥーン文化の礼賛というテーマがあるためか、いかにもポップな色彩と、テンポの早さが相まって、ちょっとしたLSDムービー感を味わった。
このように、鑑賞側の身体症状がすなわち映像体験に影響するというのは、少し面白い気がした。
映像体験については、もっぱら映像そのものや、映写環境が耳目をあつめてきたように思う。たとえば映画館で観ることの大事さや、ホームシアターのクオリティのことである。観客・視聴者というのは、ただ与えられた映像を見て、作品を評価してきた。
だが、今回私が味わっているのは、もっぱら視聴者側の肉体的都合であるので、私の精神に届くまでの間に一枚壁ができている状態だと言える。
真に映像体験を最高にするためには、体が資本だということになる。
最終的に、見る側の体のコンディションが悪いせいで、映像体験を損ねてはいかん。
より健康で、五感の解像度の高い身体を、我々は求めるようになるのだろうか。
たとえば、オーディオマニアが、音楽環境を最高にするために、電源ケーブルの材質や『電気の質』なんていう(一般的には音質に影響があるとは思えないような)概念を持ち出すことがある。
それと似たように、我々はいい映像体験のため、体のコンディションに気を遣う。
「日ごろ〇〇水や△△産の食材を摂るといい」「一日〇〇分は外に出てウォーキングをすることで、より良い映像体験につながります」なんていう論法にもなるのだろうか。
あるいは、もうひとつの帰結は、脳に直接HDMIケーブルを挿すことなのかもしれないが、それは今の人類にはまだいささか、フリーキーに過ぎるだろう。
妻のお腹の子をかわいい、と言ったら笑われた
どうやら東京で子育てデビューすることになりそうだ。
私も妻も地方出身者。彼女とは付き合って12年、結婚して3年目。私はうつの治療中だ。
そんな渦中に、子供を授かった。
妻の懐妊がわかった時には既に安定期だったこともあり、出産予定日まであと5か月もない。
お腹の子には、妻のお腹ごしに『長いこと存在に気づいてなくて、ほったらかしてごめん』と言っておいた。
ともあれ、初産である。
わからないことだらけである。
なにせ、あと5か月なのである。
決めること、準備することは盛りだくさん。
そして、自然の摂理は待ってはくれない。
ひとまず、妻は『里帰り出産する』という決断をくだした。
私もそれには大賛成である。
東京には身よりもおらず、子育て経験者の友人も少ない。その点、義母は3人の子供を産み育てたエキスパートである。田舎に帰って親元で過ごし、いざという時に頼れる身内がいたほうがいいだろう。
一方、そうなると、新米パパ(予備軍)の私はできることが少ない。
そもそも『密』を避けるため、産婦人科への通院も妻一人で来ること、付き添い禁止、というお達しが出ている。私としてみれば、おあずけをくらった気分だ。
テレビで見たことがあるシチュエーション…お医者さんが妻のお腹にエコーの機械を当てながら『あ、こっちが頭ですねー』『手指もしっかりしてますね』『母子ともに健康です』みたいな説明をしてくれ、はじめて見る我が子の映像に感動する…と期待していたのだが、そういう体験をすることは、このご時世、できないようだ。
かわりに、USBフラッシュメモリに動画を収めてもらい、自宅で再生しながら妻に開設してもらうことになった。
動画の中で、3Dイメージで映し出された我が子は、胎児ながら、顎の輪郭がすらっとしていて可愛らしい。口がパクパクと動き、じつにイノセントである。妻にそう伝えたら、『親バカ、早すぎ!』と笑われた。こんなのも良い思い出になっていくのだろうか。
さて、やることは盛りだくさんである。
妻とともに急遽マタニティやベビー用品を買ったり、妊婦によいとされる食材を調べたりしている。妻の健康は大前提である。
里帰り先と、東京に帰ってきた後のこととを、両方考えねばならない。
保育園の受け入れが可能かも未知数だ。
国や自治体からの支援制度なども、調べをつけておきたい。
部屋のベビースペースも確保しておかなくては。
将来のイベントや進学のために、資産のやりくりも見直す必要があるだろう。
せいぜい私の知恵の及ぶ限りのことを準備して、数か月後に東京においでになる新しい家族を、おもてなししようと思う。
レジ袋有料化したらクレジットカードをなくした
賛否を呼んでいるレジ袋有料化であるが、その良し悪しはともかく、事実として私は施行以来、クレジットカードを2度もなくした。
このブログでADHDの話をするのは初めてだが、じつは私はADHD傾向(いわゆるグレーゾーン)だとも指摘されているのだ。
多動はあまりないが、注意欠陥はまあまあマズい、というレベルらしい。*1
昨今、ネットのおかげで、黙っていても発達障害についての話はよく耳に入ってくる。事前にその知識があったので、いざ自分がそうだと言われても『なるほど』とすんなり納得することができた。
もともと子供の時分から、抜け・もれ、うっかりの類が多いのは自覚しており、とくにマルチタスクの状態に放り込まれると、それがいっそう顕著になるのである。
そんな私にとって致命的なのがレジ袋有料化…というわけだが、たぶん聡明で注意ぶかい諸兄におかれては、レジ袋有料化の何がどう影響するのか、想像がつかずにピンとこないかもしれない。
実際、レジ袋が有料化されてから起こった変化は大きいのである。
たとえばスーパーマーケットに買い物に行ったと仮定しよう。
買い物かごをもって、いざレジへ。
まず、エコバッグを持参せねばならぬ。*2
エコバッグを忘れることが無いように、気を付けねばならない。
次に、会計の前にエコバッグを用意せねばならぬ。
小さくたたんであるエコバッグをカバンから取り出し、広げておく作業が発生する。
会計を行う時にはクレジットカードやスマホを使って会計をするので、それらを取り出さねばならぬ。
精算処理を待っている間、カバンを片手に、もう片方の手には広げたエコバッグを持っているので両手がふさがる。
その状態で返却されてきたカードを受け取って財布に入れたり、 次の人を待たせないように速やかに買い物かごを移動せねばならない。
こうなると、マルチタスク苦手人間である私はどうするか。
クレジットカードを財布の所定の位置ではなく、一時的にポケットに入れたりして、とりあえず袋詰めコーナーに行こうとするのである。
そして、注意力が欠けているからして、一度ポケットに入れたつもりがカードを落としてしまったりする。カードがエコバッグにまぎれこんでしまっていることもあった。
あとでカードを財布にしまおうとポケットをまさぐった時に、初めて「カードがない」ことに気づくのだ。
昨今広がり始めているセルフレジは、個人的には非常にありがたい存在である。
『レジ係の人や、次の順番待ちの人とのスマートな連携』をする必要がない。
自分のペースでひとつひとつ、会計作業をし、支払をし、カードをしまい、袋詰めすればよい。少なくともマルチタスクにはなっていないから、私の場合はミスが起こらずに済む。。
もちろん、ただのてめえの不注意であって、自業自得だと言われればそれまでなのだが、レジ袋有料化の前まではクレジットカードを紛失したことは1度もなかったのである。
子供のお遣いかといわれるような低レベルの話ではあるが、そもそも苦手分野だからこそ、新しいルールに適応するのに時間がかかる。それには大人も子供もない。
世の中が変容するということは、こういう些細なことでも小市民の日々の生活に影響してしまう。生活習慣をプチ改善して、少しずつ対応してゆこう。
うつ治療中なのに新しい命を授かった件
うつの治療を1年以上続けているのだが、半年後に子供が生まれることが分かった。
そもそも私のうつは、結婚、引越し、思い入れのある愛車の売却…などの人生の大事件が連続したことに続き、さらに仕事上の決算期が重なってオーバーロードしてしまったことに端を発する。一度に襲いくる人生のプレッシャーに耐えられなかったのだ。
一時は症状もひどく、どん底かと思ったが、最近は身体的症状はかなり軽くなってきた。いちおう復職もして、勤務時間を融通したりテレワーク日を織り交ぜたりしつつも、快復傾向をたもつ程度に仕事ができている。ありがたいことである。
そんな矢先、妻のお腹に命が宿った、と分かった。
こんなに嬉しいことがあるのか。
今までの人生で感じたことのない喜びを味わっている。
一方で、従来であれば子供に対する義務や責任感からくる強烈なプレッシャーを感じていたところだったが、今の自分は純粋に喜べていることに驚いている。もちろん責任感は感じるが、それ以上にものすごく嬉しいのである。
もともと私は長男であるし、妻のほうが年上で年齢的問題も迫ってくることから、親族からの『赤ちゃんはいつできるの』的な期待と催促が入り混じった身勝手ハラスメントを受けていたのである。それに加えて私がうつになったことで精力減退し、収入も下がり、さらに追い詰められた気がしていた。『子供ができる』ことはプレッシャーの一因でもあったはずだった。
しかし、うつから立ち直る過程で、私の心境にはかなりの変化があった。
自分の意志でコントロールできる事象は『今現在の自分』だけであること。
だからこそ、誰しもが互いを尊重し、支えあったり拒んだりして、どうにか生きていること。
人の数だけ人生があり、人生は選択の連続であること。
自己完結していた世界は広がり、精神的な自立に近づいている、ような気がする。療養中に何冊かアドラー心理学の本を読んだりして感化されたのだが、この精神的な自立というのは何にも勝る人生のキーワードだと思う。
そうして前向きになった結果、愛する妻との子供ができることが純粋に嬉しい。
親の身勝手な言い分かもしれないが、こんな時期にこの子を授かったことに運命的なことまで感じてしまう。
妊娠が確定した時点で、妻はすでに安定期に入っていた。
子供の性別も、検査の当日すぐにわかったほどである。
つわりもなく、体調の変調もなく、驚くほどのほほんとしている。意識低い系の妊婦さん誕生である。
検診を受けたのが遅かったため、予定日まであと半年もない。
お産のために妻は里帰りしたいという。
考えるべきこと、やるべきことが山積みだ。
たぶん、これからノンストップの毎日が続くのであろう。
願わくば、この子がぶじに生まれてきてくれること、健やかに育って精神的に自立する大人になってくれることを願う。
そのために、今私がつぶれるわけにはいかない。
妻と子供を大事にするためには、自分のことも大事にせねばならない。うつからの学びを生かす時が来たのだ。
うつ患者が寒さに対抗するには筋トレだ
今週のお題「急に寒いやん」
寒い。
とくに我が家は鉄骨づくりの一階なので、底冷えがひどい。
結婚してから今の家に引っ越しをしたのだが、考えてみれば独立してから何度も引っ越ししたことはあっても、一度として地上階に住んだことがなかった。だから底冷えというのはまるで盲点であった。
閑静で治安のよい中野区なら、地上階でも別にいいだろう、などと考えた、引越し前の自分は浅はかであった。
床暖房も当然ない。
ないからこんな文句を垂れているのだ。
とくにフローリングの部屋の冷え込みがすごい。
ラグマットを敷いてみたが、焼け石に水である。断熱効果があるという厚手の靴下を履き、さらにスリッパを敷いてみたが、なお足は冷たいのである。
そこまで来て、そもそも私は末端冷え性なのではないかと疑い始めた。
というのも、妻はこの冷たい床のことを意にも介していない様子だからだ。
人間は恒温動物である。
健康の基礎は体温を高めることが基本だ。
今回、自分がうつを患って1番学んだことは、『心と体は一体だ』ということだった。まして、うつになってから食事がろくに取れない期間があったせいで体重が10キロくらい落ちている。これでは心身ともによくなるわけがない。
結論。筋肉をつけよう。…と思った。
筋肉は発熱する。基礎代謝をあげるのに有用だという。
私はもとよりプロレスが好きなタチで、屈強な肉体に謙虚で寛容な人柄、というのは理想とするところである。真壁刀義や棚橋弘至の朗らかさを見ていると、勇気が湧いてくる。
ということで自分なりにトレーニングを始め、ナイトルーティンに組み込んだ。
今のところうまくいっている。睡眠障害対策としても悪くないことがわかった。
うつにまつわるエピソードとして『筋トレでうつを打開した』という人の体験談や本がたくさんあるのは知っていた。
が、運動は楽しくないし、筋肉を見せびらかすのも品がない。
そもそも、活動するエネルギーが湧かないから抑うつ状態だというのに、あえてトレーニングなどハードなことをなぜするのか?生まれてこのかたインドア派で通してきた私にとっては、理解不能の話だった。
でも今なら、彼らがなぜそうなるのか分かる気がしてきた。
無論、抑うつ状態の底の時に無理をしてトレーニングをするのは逆効果だと思う。
しかし、少しずつエネルギーを取り戻しつつある治癒段階で取り入れるには、悪くない。
毎日の積み重ねで少しずつ筋量が増えていくことに成果を感じられるし、それで自分の見てくれがよくなれば、自己肯定感も高まる。
猫背や呼吸の浅さといった、物理的にうつに拍車をかける要素への対抗にもなりうる。
これはとてもいいことなのではないか。
そう信じて、毎日オーバーワークにならない程度に、こつこつ続けることにしている。
どうやら就寝直前にハードな運動をしてしまうと睡眠障害の引き金になるので、リラックする間を置くことが大事である。
健康は本当に、何にも代え難いことだ。
病気になって噛み締めるしだいである。
芋ねえちゃんと呼ばれる妻と東京で暮らす
今週のお題「いも」
はてなブログのお題というものに初めて反応してみたい。
私も妻も地方出身者である。
ともに東京へ出てきて11年になる。
その妻は、いまだにまったく東京に染まることがない。
東京育ちの方にはピンとこないかもしれないが、東京は国内では文字通りダントツの都会である。
私の故郷である広島市は、地方都市としてはまあまあ栄えているほうだし、ましてや過疎のすすむ中国地方の中では完全に恵まれている。京都や大阪で暮らしてみても尚、そう思っていた。
しかし東京と比べると、あまりのレベルの違いに愕然とする。
その熱量、情報量、密度感、洗練具合。ほとんどすべての分野のメッカがここにある。絶望的なまでの都会である。正直、ここで生まれ育った人間と『おのぼり組』とでは見える世界がまるで違うと思う。
たとえば広島からは奥田民生や世良公則は生まれたが、細野晴臣や山下達郎が生まれることは多分ない。
そういう違いがある。(例えが感覚的すぎる。あかん。)
で、東京はすべてのメッカであるからして、階級社会であることが目に触れやすいのだ。いちど上京すると、常に金銭的、社会的、能力的な階層を意識せざるを得ない。外車がそこら中に走り、高級ブランド店が軒を連ね、豪邸を目にし、六本木ヒルズを仰ぎ見る。名門や旧帝大などの大学がそこかしこにある。
そうした階級社会にふれ、上を見ても下を見ても再現のない、巨大な蟻塚のような大都会にいると、勝手に精神をすり減らすこともあろう。
『まだ東京で消耗してるの?』というのは、けだし名キャッチコピーであった。
ところで妻の話だった。
彼女は長年東京に住みながら、そうした階級間に対する軋轢を感じず、コンプレックスを感じずに、田舎娘の感覚のままで今に至っている。
私にとっては、彼女の牧歌的な世界観や平和主義が救いになることもあって、それも含めて愛している。
しかし三十代の女性として、彼女のモラトリアムは延長され過ぎている、とも思っている。ちなみに当家は姉さん女房である。
親や、私という庇護者の傘の下にいることで、彼女はモラトリアムを過ごしてきた。
私も自分が盾になることで、彼女に純朴なままでいてもらいたいと願っていたのだが、その私がうつを患って仕事から戦線離脱した時、彼女の苦しみはそれまでより格段に増してしまった。
私が倒れたからと言って、自分が矢面に立って頑張ろうと思ったり、自己変革するのは苦痛でしかないようだ。
これがよくある、『うつの共倒れ』になるのだなと実感した。1番恐れたことだ。
今は私がいちおう復職して、彼女の負担は減っている。モラトリアムに戻りつつある。
願わくば、このまま平和が続けばよいのだが。
夫婦も一種の依存関係なので、一度バランスが崩れると持ち直すのは大変だ。
病める時も、健やかなる時も互いを支えると誓い合ったはずであるが、人はきれいごとのとおりに動けるほど強くなかったりもするのだ。
夢日記 学園祭乱入大量殺人事件
夢をみた。
鉄筋コンクリートの高層マンションに囲まれた中庭状のスペース。その一区画全体が学校のキャンパスである。
私は今の妻とそのマンションの一室で同棲しているらしい。だからたぶんその学校は妻と出会った大学なのかもしれないが、実際の私の出身校とはキャンパスの様子はまるで異なる。そもそもマンションなんてなかったし、そんな所に住んでもいなかったから、たぶん色んな記憶の混ざった幻影であろう。
その日は学園祭だった。
中庭では出店が立ち並び、様々な催しがされている。
隣接したマンションの一室に住んでいる私は、窓からその様子を見下ろしていた。
中庭におりてみると、さながら縁日、というより台湾の夜市のような様相だ。提灯とLEDが吊るされており煌々と明るい。飛び交う言葉も日本語ではなく意味はわからないが、とにかく活気のあることは伝わってくる。妻とそこを巡り歩いた。
祭りの後、夜市の屋台は店じまい。祭りの後の静寂が訪れようとしていた。
そんな時に、奴が現れた。
奴は悲痛な絶叫を上げながら、キャンパスに殴り込んできた。直感的に感じる。奴はこの幸せなキャンパスライフを妬んでいるのだ。入試におちた腹いせなのかもしれない。ともかく凄まじい殺気を感じた。
なにか強力な鈍器を持っているようで、奴は中庭で暴れ、殴られた人々の血が流れた。
私はその様子を、マンションの自室から見下ろしていた。誰かが『警察を呼べ!』と叫ぶのが聞こえて、即座にスマホで緊急通報をした。
数秒と経たないうちにパトカーのサイレンが四方八方から聞こえて来る。レスポンスが早くていい。これで助かると思った。
刹那、奴は私の部屋にいた。
どうやって上ってきたかは分からない。奴の姿もおぼろげで黒ずんでおり、人間かどうかもよく分からないが、どうやら得物が圧縮バットらしいことだけは分かった。
奴が妻に向けてバットを振りかぶったので、とっさに体を入れてかばい、左手で上段受けしようとしたが、バットは上腕にめり込み、僥骨の砕けるのを感じた。
こっちは丸腰である以上、致命的な負傷だと思った。
もう一撃くらって昏倒した。妻が危ない。パトカーは階下に到着したようだが、警官が部屋に来るのはとても間に合わないだろう。
薄れゆく意識の中、私と妻がみるみる白骨化し、朽ち果てていくのを見た。
なんだこれは。まるで未来惑星ザルドスのラストシーンである。まあいいか。私はショーン・コネリーで、妻はシャーロット・ランプリングというわけだから悪くはないか。
いや、良いわけが無い。
あの映画のような悔いのない人生などではなかった。あんな奴にやられる終わるなどごめんだ。
そして目が覚めた。まだ夜明け前だ。
悪夢ではあるが、真に迫ったタイプではなく、厚いゴムに覆われたようなぐにゃっとした感触の夢だった。
左手に嫌な肌触りだけが残ったようで、振り払うのに時間がかかった。