中野区うつ回復日記

ホームムービーを撮って、うつ回復を目論む男の日記

うつ治療中なのに新しい命を授かった件

うつの治療を1年以上続けているのだが、半年後に子供が生まれることが分かった。

 

 

そもそも私のうつは、結婚、引越し、思い入れのある愛車の売却…などの人生の大事件が連続したことに続き、さらに仕事上の決算期が重なってオーバーロードしてしまったことに端を発する。一度に襲いくる人生のプレッシャーに耐えられなかったのだ。

 

一時は症状もひどく、どん底かと思ったが、最近は身体的症状はかなり軽くなってきた。いちおう復職もして、勤務時間を融通したりテレワーク日を織り交ぜたりしつつも、快復傾向をたもつ程度に仕事ができている。ありがたいことである。

 

そんな矢先、妻のお腹に命が宿った、と分かった。

こんなに嬉しいことがあるのか。

今までの人生で感じたことのない喜びを味わっている。

一方で、従来であれば子供に対する義務や責任感からくる強烈なプレッシャーを感じていたところだったが、今の自分は純粋に喜べていることに驚いている。もちろん責任感は感じるが、それ以上にものすごく嬉しいのである。

 

もともと私は長男であるし、妻のほうが年上で年齢的問題も迫ってくることから、親族からの『赤ちゃんはいつできるの』的な期待と催促が入り混じった身勝手ハラスメントを受けていたのである。それに加えて私がうつになったことで精力減退し、収入も下がり、さらに追い詰められた気がしていた。『子供ができる』ことはプレッシャーの一因でもあったはずだった。

 

しかし、うつから立ち直る過程で、私の心境にはかなりの変化があった。

自分の意志でコントロールできる事象は『今現在の自分』だけであること。

だからこそ、誰しもが互いを尊重し、支えあったり拒んだりして、どうにか生きていること。

人の数だけ人生があり、人生は選択の連続であること。

自己完結していた世界は広がり、精神的な自立に近づいている、ような気がする。療養中に何冊かアドラー心理学の本を読んだりして感化されたのだが、この精神的な自立というのは何にも勝る人生のキーワードだと思う。

 

そうして前向きになった結果、愛する妻との子供ができることが純粋に嬉しい。

親の身勝手な言い分かもしれないが、こんな時期にこの子を授かったことに運命的なことまで感じてしまう。

 

妊娠が確定した時点で、妻はすでに安定期に入っていた。

子供の性別も、検査の当日すぐにわかったほどである。

つわりもなく、体調の変調もなく、驚くほどのほほんとしている。意識低い系の妊婦さん誕生である。

 

検診を受けたのが遅かったため、予定日まであと半年もない。

お産のために妻は里帰りしたいという。

考えるべきこと、やるべきことが山積みだ。

たぶん、これからノンストップの毎日が続くのであろう。

 

 

 

願わくば、この子がぶじに生まれてきてくれること、健やかに育って精神的に自立する大人になってくれることを願う。

そのために、今私がつぶれるわけにはいかない。

妻と子供を大事にするためには、自分のことも大事にせねばならない。うつからの学びを生かす時が来たのだ。

うつ患者が寒さに対抗するには筋トレだ

今週のお題「急に寒いやん」

 

寒い。

とくに我が家は鉄骨づくりの一階なので、底冷えがひどい。

 

結婚してから今の家に引っ越しをしたのだが、考えてみれば独立してから何度も引っ越ししたことはあっても、一度として地上階に住んだことがなかった。だから底冷えというのはまるで盲点であった。

閑静で治安のよい中野区なら、地上階でも別にいいだろう、などと考えた、引越し前の自分は浅はかであった。

 

床暖房も当然ない。

ないからこんな文句を垂れているのだ。

とくにフローリングの部屋の冷え込みがすごい。

ラグマットを敷いてみたが、焼け石に水である。断熱効果があるという厚手の靴下を履き、さらにスリッパを敷いてみたが、なお足は冷たいのである。

 

そこまで来て、そもそも私は末端冷え性なのではないかと疑い始めた。

というのも、妻はこの冷たい床のことを意にも介していない様子だからだ。

 

人間は恒温動物である。

健康の基礎は体温を高めることが基本だ。

 

今回、自分がうつを患って1番学んだことは、『心と体は一体だ』ということだった。まして、うつになってから食事がろくに取れない期間があったせいで体重が10キロくらい落ちている。これでは心身ともによくなるわけがない。

 

 

結論。筋肉をつけよう。…と思った。

筋肉は発熱する。基礎代謝をあげるのに有用だという。

私はもとよりプロレスが好きなタチで、屈強な肉体に謙虚で寛容な人柄、というのは理想とするところである。真壁刀義棚橋弘至の朗らかさを見ていると、勇気が湧いてくる。

 

ということで自分なりにトレーニングを始め、ナイトルーティンに組み込んだ。

今のところうまくいっている。睡眠障害対策としても悪くないことがわかった。

 

うつにまつわるエピソードとして『筋トレでうつを打開した』という人の体験談や本がたくさんあるのは知っていた。

が、運動は楽しくないし、筋肉を見せびらかすのも品がない。

そもそも、活動するエネルギーが湧かないから抑うつ状態だというのに、あえてトレーニングなどハードなことをなぜするのか?生まれてこのかたインドア派で通してきた私にとっては、理解不能の話だった。

でも今なら、彼らがなぜそうなるのか分かる気がしてきた。

 

無論、抑うつ状態の底の時に無理をしてトレーニングをするのは逆効果だと思う。

 

しかし、少しずつエネルギーを取り戻しつつある治癒段階で取り入れるには、悪くない。

 

毎日の積み重ねで少しずつ筋量が増えていくことに成果を感じられるし、それで自分の見てくれがよくなれば、自己肯定感も高まる。

猫背や呼吸の浅さといった、物理的にうつに拍車をかける要素への対抗にもなりうる。

 

 

これはとてもいいことなのではないか。

そう信じて、毎日オーバーワークにならない程度に、こつこつ続けることにしている。

どうやら就寝直前にハードな運動をしてしまうと睡眠障害の引き金になるので、リラックする間を置くことが大事である。

 

健康は本当に、何にも代え難いことだ。

病気になって噛み締めるしだいである。

芋ねえちゃんと呼ばれる妻と東京で暮らす

今週のお題「いも」

 

はてなブログのお題というものに初めて反応してみたい。

 

私も妻も地方出身者である。

ともに東京へ出てきて11年になる。

 

その妻は、いまだにまったく東京に染まることがない。

東京育ちの方にはピンとこないかもしれないが、東京は国内では文字通りダントツの都会である。

 

私の故郷である広島市は、地方都市としてはまあまあ栄えているほうだし、ましてや過疎のすすむ中国地方の中では完全に恵まれている。京都や大阪で暮らしてみても尚、そう思っていた。

しかし東京と比べると、あまりのレベルの違いに愕然とする。

その熱量、情報量、密度感、洗練具合。ほとんどすべての分野のメッカがここにある。絶望的なまでの都会である。正直、ここで生まれ育った人間と『おのぼり組』とでは見える世界がまるで違うと思う。

 

たとえば広島からは奥田民生世良公則は生まれたが、細野晴臣山下達郎が生まれることは多分ない。

そういう違いがある。(例えが感覚的すぎる。あかん。)

 

で、東京はすべてのメッカであるからして、階級社会であることが目に触れやすいのだ。いちど上京すると、常に金銭的、社会的、能力的な階層を意識せざるを得ない。外車がそこら中に走り、高級ブランド店が軒を連ね、豪邸を目にし、六本木ヒルズを仰ぎ見る。名門や旧帝大などの大学がそこかしこにある。

 

そうした階級社会にふれ、上を見ても下を見ても再現のない、巨大な蟻塚のような大都会にいると、勝手に精神をすり減らすこともあろう。

『まだ東京で消耗してるの?』というのは、けだし名キャッチコピーであった。

 

ところで妻の話だった。

彼女は長年東京に住みながら、そうした階級間に対する軋轢を感じず、コンプレックスを感じずに、田舎娘の感覚のままで今に至っている。

私にとっては、彼女の牧歌的な世界観や平和主義が救いになることもあって、それも含めて愛している。

しかし三十代の女性として、彼女のモラトリアムは延長され過ぎている、とも思っている。ちなみに当家は姉さん女房である。

 

親や、私という庇護者の傘の下にいることで、彼女はモラトリアムを過ごしてきた。

私も自分が盾になることで、彼女に純朴なままでいてもらいたいと願っていたのだが、その私がうつを患って仕事から戦線離脱した時、彼女の苦しみはそれまでより格段に増してしまった。

私が倒れたからと言って、自分が矢面に立って頑張ろうと思ったり、自己変革するのは苦痛でしかないようだ。

これがよくある、『うつの共倒れ』になるのだなと実感した。1番恐れたことだ。

 

今は私がいちおう復職して、彼女の負担は減っている。モラトリアムに戻りつつある。

願わくば、このまま平和が続けばよいのだが。

 

夫婦も一種の依存関係なので、一度バランスが崩れると持ち直すのは大変だ。

病める時も、健やかなる時も互いを支えると誓い合ったはずであるが、人はきれいごとのとおりに動けるほど強くなかったりもするのだ。

 

 

夢日記 学園祭乱入大量殺人事件

夢をみた。

 

鉄筋コンクリートの高層マンションに囲まれた中庭状のスペース。その一区画全体が学校のキャンパスである。

 

私は今の妻とそのマンションの一室で同棲しているらしい。だからたぶんその学校は妻と出会った大学なのかもしれないが、実際の私の出身校とはキャンパスの様子はまるで異なる。そもそもマンションなんてなかったし、そんな所に住んでもいなかったから、たぶん色んな記憶の混ざった幻影であろう。

 

その日は学園祭だった。

中庭では出店が立ち並び、様々な催しがされている。

隣接したマンションの一室に住んでいる私は、窓からその様子を見下ろしていた。

 

中庭におりてみると、さながら縁日、というより台湾の夜市のような様相だ。提灯とLEDが吊るされており煌々と明るい。飛び交う言葉も日本語ではなく意味はわからないが、とにかく活気のあることは伝わってくる。妻とそこを巡り歩いた。

 

祭りの後、夜市の屋台は店じまい。祭りの後の静寂が訪れようとしていた。

そんな時に、奴が現れた。

 

奴は悲痛な絶叫を上げながら、キャンパスに殴り込んできた。直感的に感じる。奴はこの幸せなキャンパスライフを妬んでいるのだ。入試におちた腹いせなのかもしれない。ともかく凄まじい殺気を感じた。

 

なにか強力な鈍器を持っているようで、奴は中庭で暴れ、殴られた人々の血が流れた。

私はその様子を、マンションの自室から見下ろしていた。誰かが『警察を呼べ!』と叫ぶのが聞こえて、即座にスマホで緊急通報をした。

数秒と経たないうちにパトカーのサイレンが四方八方から聞こえて来る。レスポンスが早くていい。これで助かると思った。

 

刹那、奴は私の部屋にいた。

どうやって上ってきたかは分からない。奴の姿もおぼろげで黒ずんでおり、人間かどうかもよく分からないが、どうやら得物が圧縮バットらしいことだけは分かった。

 

奴が妻に向けてバットを振りかぶったので、とっさに体を入れてかばい、左手で上段受けしようとしたが、バットは上腕にめり込み、僥骨の砕けるのを感じた。

こっちは丸腰である以上、致命的な負傷だと思った。

 

もう一撃くらって昏倒した。妻が危ない。パトカーは階下に到着したようだが、警官が部屋に来るのはとても間に合わないだろう。

 

薄れゆく意識の中、私と妻がみるみる白骨化し、朽ち果てていくのを見た。

なんだこれは。まるで未来惑星ザルドスのラストシーンである。まあいいか。私はショーン・コネリーで、妻はシャーロット・ランプリングというわけだから悪くはないか。

 

いや、良いわけが無い。

あの映画のような悔いのない人生などではなかった。あんな奴にやられる終わるなどごめんだ。

 

そして目が覚めた。まだ夜明け前だ。

悪夢ではあるが、真に迫ったタイプではなく、厚いゴムに覆われたようなぐにゃっとした感触の夢だった。

左手に嫌な肌触りだけが残ったようで、振り払うのに時間がかかった。

ソシャゲがどんなものか一年試して、そしてやめた

ソシャゲは儲かる、と言われてどのくらい経っただろう。

 

コンシューマーゲームが衰退して、人々はスマートフォンのソシャゲに夢中になっている、らしい。廃課金勢だとかもいるらしい。

 

世間的にはずいぶん古いイメージなのだろうが、実際にそういう流行りの波に乗っていない人間にとっては、情報はアップデートされないまま年月は過ぎゆく。

 

正直、ピンとこなかった。

なにやら射幸性があって、やめるにやめられないらしい。

強いキャラクターやカードを出すために、課金したくなるらしい。

 

思い返せば、もともと賭博に縁がなかった。

親類にも賭博をやる人間はいない。たぶん親父は、宝くじひとつ買ったことがないのではないか。

 

課金してしまうほどの人間の射幸心とはどれほどのものか気になってしまった。

それで一念発起して、『ガンダム ブレイカーモバイル』を始めたのが1年前だ。

 

結局、今日まで無課金でやってきた。

その成果が下記である。

たぶんもう見ることもないので、記念に貼っておく。

 

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このゲームをやっている人なら、無課金にしてはずいぶん頑張っている方だと言ってくれるのではないか、と思う。

(2020/10/20時点)

 

ガンダムはまあ人並みに好きなので、それなりには楽しんだ。

このゲームはガンダムのプラモデルのパーツを集めてオリジナル機体を作り、それでいろいろなミッションをこなして行くというものだ。

 

勝手なこだわりとして、思い入れのあるブルーディスティニー1号機のEXAM搭載の頭部(の見た目)を使うことにしていた。ジムの顔が好きだからだ。

 

毎日のログインボーナスやら、条件が次々と変わるミッションにあわせてパーツを取得して、戦っていく。

私にはASD/ADHD気質もあるので、淡々と与えられるルーチンをやるのは得意だ。だから続けられたのであろう。

しかし結論、あまりの不毛さに、最後には音を上げてしまった。

 

 

 

たぶん、このゲームの運営はソシャゲの中でもあまり上手な方ではないのだろう。

 

フリーミアムといえば聞こえはいい。

たしかに無課金でも楽しめると言えばその通りではあるが、かといって、課金したら楽しみが増えるとは思えない。

 

ガシャと呼ばれるランダム要素も鬱陶しいだけであった。スイッチを押すと餌が出たり出なかったりする実験をさせられたサルの気持ちである。

 

病気の療養、仕事の復帰、さらにプライベートに習い事に、考えることは山ほどある中で、ゲームのために毎回ルールの変わるミッションを把握せねばならない。新しいルールについて行くだけで思考力を使う。

 

FGOだとか、流行っているゲームだと違うのかもしれない。が、気力体力をかけてまでやるものではないと判断した。

 

たとえばこれがMMOならプレイヤー同士の交流なども生まれて良いのかもしれないが、残念ながらそういう機会はほぼなかった。

フォロー・フォロワーも100人までしかつけられない。マルチプレイも期間限定か、全く動いていないかのどちらかだ。

 

皆、見えないライバル達といたずらに競わされているだけだ。そして、ゲームをやめて脱落していってしまったフォロワーがいれば、そっとそれを解除させてもらうだけのこと。

なんと、わびしい。こんなことを続けていたら精神的に貧しくなりそうだと思った。

 

ガンダムブレイカーはプラモデルの改造をモチーフにしたゲームなので、キャラゲーとも微妙に違う。

パーツの組み合わせでいかに強くできるかという話なので、『性能を求めるなら、νガンダムアムロを乗せたくない』なんていう、ガンダムファンからすると信じられないような事態までありえる。

また、オリジナル機体を作るのが醍醐味なので、アニメ通りの機体を作るメリットがない。

たとえばF91が好きなら全部F91のパーツで揃えてもいいが、パーツごとに指定された必殺技が弱ければ戦力的にはイマイチだ。なので、F91の象徴であるはずのヴェスバーを他のパーツにしないと弱い、なんてこともある。

 

かといって、性能を追求するあまりによくわからないユニークな機体ができて面白い、というわけでもない。

なにせガンダムはシリーズが多すぎて、そこにはガンダム系の機体だけで膨大な数のバリエーションがある。(とくにSEED系は敵味方ほぼ全部ガンダムだ)

そのため、だいたいガンダムの枠から外れたデザインにならず、面白いいびつな機体もできにくい。

ジ・Oキュベレイ、バウンドドッグ、ペーネロペーなどの異形がもっと多ければ楽しいのだろうが。

 

私のフォロワーの方にはネタ系のこだわりビルドをやっている人もいて、ガンプラのパーツなのにゲッターロボエヴァンゲリオンを作っている人もいた。

それに触発されてみた結果がこれだ。

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オラタンのテムジン…というには厳しいね?

ネタとしてもつまらないし、しかも戦力としては使い物にならない。どっちつかずである。

つまりその程度なのだ。

 

なんというか、すべてが微妙に噛み合っていなくて、1年間の末にたどりついたのは虚無だった。

 

プレー時間は何百時間もあったかもしれない。

家のプレステで信長の野望をマイナー勢力でプレイした方が、まだ建設的な過ごし方だったかもしれない。

 

同じギャンブルをするなら違うことに使おうと思う。

さらば、ガンダムブレイカーモバイル。

 

今も要素はどんどん追加されているので、それについていけるプレイヤーの皆様には頑張って続けてほしい。

 

語彙力のないオタクはオタクではないのか

岡田斗司夫にハマっている。

 

うつの休職期間中、氏のYoutubeニコニコ動画の無料配信ばかり見ていた。

もちろん、岡田斗司夫という存在は昔から知ってはいた。

かつてダイコン、ゼネプロ、ガイナックスを作ったという、我々80年代生まれの世代からすれば、オタク神話の創造者の1人である。

にもかかわらず、オタキングを名乗りテレビに出て福々しい顔で笑っている姿はじつに軽薄に見えて、私の中では勝手に、ビジネス脳でオタクを材料に使っている山師のような人なのだろうと思っていた。

 

しかしその実態は、すばらしく評論家であった。知的好奇心をくすぐり、新たな地平を見通す、ある種の現代の賢者である。

…なんていうと盲信しているようだが、私が岡田斗司夫氏に今さら心酔するのは、世の中のつまらないインフルエンサーを見ているからだ。

 

早速、本を買ってみた。ずいぶん昔の岡田氏の著書『オタク学入門』を読み進めている。*1

2006年に『オタク・イズ・デッド』宣言をする前の、1996年時点の本書となる。まだまだ冒頭部分だが、感ずることが多い。

 

当時、オタク的なサブカルチャーが市民権を得ていまに至るまでの過渡期だったように思う。

そこで岡田氏は『オタクが文化をリードする』という。

当時のオタクはその価値観の成熟と知的な探究心により、良いものを見分けて愛好することができる。

いっぽうで、グローバリズム的な価値観の多様化を迎えた2000年代の若者のボリュームゾーンは、いったい何を楽しめば良いか見失った。これを追っていれば安心で面白い…というトレンドを失ってしまった。

ゆえに彼らは、オタクの後をついてくるしかないだろうというのである。

 

とくにこの10年、進撃の巨人があり、君の名はがあり、シン・ゴジラがあり、多数の漫画実写化映画が作られ、そして鬼滅の刃がある。

ボカロP出身のミュージシャンが席巻し、アートはもはやサブカルチャーと切り離すことはできない。

オリンピックのために首相がゲームキャラの格好までした。

岡田氏の予想はおおむね実現化したのではないのか。

 

しかし、それがいいことばかりでもない、と私は思う。

いまや当時的な意味のオタクは絶滅危惧種ではないのだろうか。知的好奇心に突き動かされ、探究心から突き詰める、あのオタクたちはどこへ行ったのか。

 

Twitterは毒である。

オタク的なものが溢れ、自称オタクの人間が跳梁跋扈している世界なのだが、そのわりには、あまりにも中身が薄すぎる。

ネタを流して、バズればよし。

気に入ったものがあれば『エモい』『尊い』『(語彙力)』といって表現することを拒絶する。

炎上や論争は絶えないが、その末に、なにか建設的な結論がでた試しはない。

そこには知性も探究心もない。他人にうまいものをあてがわれて『うまい』というだけの人間がグルメと言えるか。美食家と言えるか。

 

オタクとは知性と探究心のある存在だ、とする。

一方、自ら探究せず表現を放棄する人間に知性はない。

そうなると、語彙力のないオタク、というのは矛盾している。

自分が語彙力のないオタクだと告白する人は、すなわちオタクではないと宣言しているようなものである。

 

べつにそういう人を貶める気はない。

大事なのは、そういう人達が結局ボリュームゾーンにいて、経済を支えていて、今のインフルエンサーと呼ばれる人々はそれを食い物にしようと考えているだけに過ぎず、自分たちのアイディアの実験台、ないし燃料資源にくらいにしか思っていないのではないか。

 

オタクたるもの、知的好奇心をくすぐるものを探し続けていたいものだ。

そういう意味で、いまの岡田斗司夫氏のスタンスはさすがの立ち回りと言わざるをえない。

だから目下、もっとも信頼のおける評論家として彼を見てしまうのだ。

 

岡田斗司夫はかれの好奇心の赴くまま、新たな地平を探し、学び、関連づけ、アウトプットし続けている。

そういう人は、人の人生を豊かにできるから。

*1:活字はいい。しばらく、この良さを忘れていた気がする。

「私のうつ」について、自己紹介をかねて。

うつは個人差の大きい病気です。

 

ですから、このブログではじめに書くべきは「私がどういう人間で、どんな状態にあるか」だと思います。

自己紹介をかねて書きますから、参考にしてください。

 

 

 

 

 

軽く自己紹介 病歴・発達障害について

 

1986年生まれ、男性。

既婚ですが、子供はいません。

出身は中国地方、いまは東京在住です。

 

子供の時分は、「まじめ・優等生・博識・手のかからない子」などと言われることが多かったように思います。

 

かつて中学〜高校生の時分に、不登校、引きこもり状態だった時期があります。

この頃は体調不良もともない、「自律神経失調症」と診断されていました。

 

 

高校中退後、当時の「大学入学資格検定」を経て大学に行き、卒業とともに上京しました。

それから早、10年以上になります。

 

ほかにはASDADHDの傾向もあるようです。

が、そちらについては「疑いあり」というのみで正式に診断されたわけではありません。自覚したのもここ数年のことで、社会生活に著しい不適合を感じていたわけではありません。

 

職業はサラリーマン。

多角事業を立ち上げている中小企業に勤めており、複数の業種にまたがる仕事をしていたので、単に「サラリーマン」と言うことにしています。

 

こんなところでしょうか。 

 

 

 

 

うつと診断されるまで

 

うつ病と診断されたのは2019年10月末のことでした。

 

しかし、その2年ほど前からすでにメンタル面でのつらさは覚えており、心療内科に罹っていました。

直接的には仕事のストレスが原因です。

 

とくに1年前くらいからは睡眠障害、不安障害、情緒不安定といった症状が強くなり、こと睡眠に関しては、

「眠りが浅い」

「夜中や早朝に目が覚めてしまう」

疲労感がとれない」

…ということが何ヶ月か続きました。

そのうち、被害妄想的になり「もうダメかもしれない」と思いつめたことも何度かありました。

 

 

さらに追い打ちをかけたのが、結婚と引越しという2大イベントでした。

これらは、年齢的にも人生のステージ的にも決断を迫られていた(と、思い込んでいた)ことで実行に移したのですが、よくも悪くも、大きな環境の変化は心身に影響するものです。

 

やがて仕事中や通勤中に、「ひとりでに涙が溢れてくる」ことが何度も起こるようになり、その度に職場で休憩や仮眠を取るなどしてやり過ごす時期が数ヶ月続いたのです。

この頃になると、さすがにメンタルが限界を迎えつつあることに気づきましたが、それでも耐え忍んでしまったのです。

 

 

 

診断されてからの症状について

 

決定的に症状が出始めたのは、朝から大事な会議のあった日のこと。

ひとり早朝に出社して会社の鍵を開け、会議資料を用意している最中に、ついに限界を迎えてしまったのです。

涙は流れるものの何も手につかなくなり、その日は早退。

 

翌朝起きてみると、まったく身体が言うことを聞かなくなっていました。

ほとんど「金縛り」といってもいいほどに、手足が動かない。

自力で起き上がることはもちろん、寝返りをうつことも難しいほどでした。

何十分もかけて悪戦苦闘のすえ、四つん這いでようやく移動することができましたが、その有様は、あまりにも惨めに思えました。

 

その日から、決定的に身体が狂ってしまったのです。

たえまない頭痛。

吐き気。

脱力。

ほとんど寝たきりの状態で過ごすうちに、心は不安感と閉塞感によって汚染されていき、絶望が滲み出してきました。

 

世間では、うつは「心の病」「心の風邪」などと言います。

ですから私はこの時まで、『うつは辛いというが、それはメンタルバランスの問題で、心が辛いだけなんだろうな』…としか思っていませんでした。

 

でも、心と身体はひとつだし、人間はどちらかだけで生きているのではありません。

心が辛ければ身体も蝕まれるし、

その逆もありうるのだということ。

そして、一度おちいってしまうと、自己管理だとか根性だとかではどうにもならない状況があるという事実。

恥ずかしながら、この歳になってはじめて実感したのです。

 

この日、明確にうつ症状との診断を下されました。

 

 

 

現在の状況と抱負

 

その後は、ありがたいことに、職場からの理解がある程度得られていることや妻の支えのおかげもあり、体調は回復傾向にあります。

現在も自宅療養を続けていますが、リモートワークや自己裁量による出勤で、部分的には職場復帰もしています。

 

しかし寛解にはまだ至らず、症状がぶり返すこともあります。

動けるようになった反面、緊張感や動悸といった、不安症状が強くなってきています。

 

また、いちおう動けるようになったことが問題でもあり、

自分がどこまでの負荷に耐えられるのかわからないままに症状を悪化させてしまったり、「仮に寛解しても、また繰り返す可能性がある」ことが恐ろしく感じることもあります。

 

 

これからどうなるか不安だらけではありますが、人生はまだまだ続きます。

よりよく生きるために、今までの症状やその対処、療養中に考えていることなどについて、本ブログに書き連ねてみようと思っている次第です。