中野区うつ回復日記

東京中野区で、うつ回復しながら父親になる男の雑なエッセイ

芋ねえちゃんと呼ばれる妻と東京で暮らす

今週のお題「いも」

 

はてなブログのお題というものに初めて反応してみたい。

 

私も妻も地方出身者である。

ともに東京へ出てきて11年になる。

 

その妻は、いまだにまったく東京に染まることがない。

東京育ちの方にはピンとこないかもしれないが、東京は国内では文字通りダントツの都会である。

 

私の故郷である広島市は、地方都市としてはまあまあ栄えているほうだし、ましてや過疎のすすむ中国地方の中では完全に恵まれている。京都や大阪で暮らしてみても尚、そう思っていた。

しかし東京と比べると、あまりのレベルの違いに愕然とする。

その熱量、情報量、密度感、洗練具合。ほとんどすべての分野のメッカがここにある。絶望的なまでの都会である。正直、ここで生まれ育った人間と『おのぼり組』とでは見える世界がまるで違うと思う。

 

たとえば広島からは奥田民生世良公則は生まれたが、細野晴臣山下達郎が生まれることは多分ない。

そういう違いがある。(例えが感覚的すぎる。あかん。)

 

で、東京はすべてのメッカであるからして、階級社会であることが目に触れやすいのだ。いちど上京すると、常に金銭的、社会的、能力的な階層を意識せざるを得ない。外車がそこら中に走り、高級ブランド店が軒を連ね、豪邸を目にし、六本木ヒルズを仰ぎ見る。名門や旧帝大などの大学がそこかしこにある。

 

そうした階級社会にふれ、上を見ても下を見ても再現のない、巨大な蟻塚のような大都会にいると、勝手に精神をすり減らすこともあろう。

『まだ東京で消耗してるの?』というのは、けだし名キャッチコピーであった。

 

ところで妻の話だった。

彼女は長年東京に住みながら、そうした階級間に対する軋轢を感じず、コンプレックスを感じずに、田舎娘の感覚のままで今に至っている。

私にとっては、彼女の牧歌的な世界観や平和主義が救いになることもあって、それも含めて愛している。

しかし三十代の女性として、彼女のモラトリアムは延長され過ぎている、とも思っている。ちなみに当家は姉さん女房である。

 

親や、私という庇護者の傘の下にいることで、彼女はモラトリアムを過ごしてきた。

私も自分が盾になることで、彼女に純朴なままでいてもらいたいと願っていたのだが、その私がうつを患って仕事から戦線離脱した時、彼女の苦しみはそれまでより格段に増してしまった。

私が倒れたからと言って、自分が矢面に立って頑張ろうと思ったり、自己変革するのは苦痛でしかないようだ。

これがよくある、『うつの共倒れ』になるのだなと実感した。1番恐れたことだ。

 

今は私がいちおう復職して、彼女の負担は減っている。モラトリアムに戻りつつある。

願わくば、このまま平和が続けばよいのだが。

 

夫婦も一種の依存関係なので、一度バランスが崩れると持ち直すのは大変だ。

病める時も、健やかなる時も互いを支えると誓い合ったはずであるが、人はきれいごとのとおりに動けるほど強くなかったりもするのだ。